环球微动态丨エピローグ Double Cast

2023-01-24 11:23:51     来源 : 哔哩哔哩

──『望み』にはもう気付いた?


(资料图)

どこからかずっと響き、私を惑わせていた『声』が、尋ねてくる。

葬った筈の『娘シル』の声に、私はもう神々の娘ヘルンを言い訳にしないで、認めた。

私が望んでいたものは『愛』ではなく──『恋』。

『愛の女神』だからこそ手に入れられない慕情に、私はずっと焦こがれていた。

私の『美』は誰だれをも魅了する。

私に心を奪われる者達は、私が求めれば何でも捧ささげ、私が拒めば涙を忍んで従う。

それは『愛』だ。無償の愛に近い、歪ゆがんだ『愛』。

彼等と彼女達は私に『恋』をすることはなく、その逆もありえない。

誰が服従しているも同然の相手に恋焦こいこがれることができるだろう?

どんなに神々の娘ヘルンや黄金の娘ヘイズ、それに眷族オッタル達、清く、強く、美しく在ろうとする子達が私のために尽くし、その姿を可愛かわいく思い、愛おしさを感じても、やっぱりそれは『愛』だ。

『愛』は『恋』より上の存在で、豊かなものだと誰もが言う。

その通りだ。私が狂ったように、『恋』ほど不安定なものはない。

けれど、あれほど世界を鮮やかにする衝動もまた存在しない。

愛とは豊穣の大地、恋とは私がいつも辿たどり着いていた花畑と一緒。

人を育て、恵み、一方で彼等の手で土を耕たがやし肥やされる、そんな相互の永遠がない代わりに、花は咲き誇るその一瞬、何ものよりも鮮やかに世界を彩いろどる。

私はきっと永遠ではなく、一瞬を生きる花になりたかった。

……いや、はっきり言おう。

愛することにも愛されることにも、疲れていたのだ。

だから、私は『恋』に夢見た。

『愛』より遥はるかに青く、とても不安定な想おもいに、何も知らない小娘のように焦がれた。

そして──出会った『恋』は、本当に私の世界を変えたのだ。

『恋』は夢ではなくなった。確かな『望み』へと形に変えた。

私が唯一恋できる相手が、少年ベルだった。

下界も天界も含めて、少年ベルだけが、私の望みを叶かなえてくれる存在だった。

惹ひかれつつあった少年ベルに『魅了』が効かないとわかった時、私は本当に嬉うれしかった。

少年ベルとなら『恋』を経て、私の知らない『愛』に至ることもできるかもしれないと。

けれど、『魅了』にかからないということは、本当に信じられないけれど、私の権能にも屈さないほど別の存在を想い、憧憬しょうけいを抱いているということ。

とんだ皮肉だった。

私は『恋』が叶わない相手にしか、『恋』ができない。

そこには必ず失恋おわりが待っている。そして『恋』を求めるが故に、必ず破綻を起こす。

酷い女神がいたものだ。

自分のことながら始末に悪くて、面倒な女だと、彼に救われたきずつけられた今なら認められる。

私の『望み』は……決して叶わない『初恋』だった。

──それだけ?

……?

他に何があるというの?

問いを重ねる娘シルに眉まゆをひそめると、どこか呆あきれた溜息ためいきが聞こえた。

──本当に面倒。矜持きょうじを捨てられず、鈍感を気取る。ここまでくれば病気ね。

その溜息は、女神だれかの声に変わっていた。

おかしい。女神フレイヤは私だ。これは私が始めた、娘シルと女神フレイヤの一人二役ダブルロールだ。

けれど、そこで、気が付いた。

娘シルと女神フレイヤを、二役ふたりを演じていた『一人』とは、誰?

──少年ベルが言っていたわ。『本当の貴方』を教えてくださいって。

それは戦争遊戯ウォーゲームを要求した時、彼に言われた言葉。

『本当の私』?

『本当の私』は……誰?

──その姿がもう答えでしょう?

花畑が広がる。

空は黄昏たそがれ、大地を埋めつくすのは一面の紅あかい大輪。

花々の海の中に座り込み、黄金おうごんではなくなった透明の滴しずくを流すのは、私。

穏やかな風に薄鈍うすにび色の髪を揺らす、私。

辿り着いた花畑で、私は薄鈍色の瞳を見開く。

──後悔だけはしないようにね。

『女神』が去る。

『軛くびき』が消える。

辿り着いた幻想ユメの続きは、その日からもう見ていない。

史上初の『派閥大戦』──勝利を飾ったのは『派閥連合』。

【フレイヤ・ファミリア】の敗北を告げる報しらせに、世界は取り乱し、爆発ばくはつした。

均衡は崩れ、勢力図が書き換わり、新たな『英雄』が胎動すると、下界中が大騒ぎとなる。今代の『英雄候補』の末席に名を連ねるのは疾風の音色ねいろか、はたまた鐘の咆哮ほうこうか、最強派閥フレイヤ・ファミリア打倒という偉烈は多くの者の憶測を呼び、『時代が動く』と、神ならざる者達でさえ確然たる予感を抱いた。

そして、そんな震撼しんかんもたらす震源地オラリオが、我を忘れない筈もなく。

『オルザの都市遺跡』より凱旋がいせんを果たした冒険者一行に叩たたきつけられたのは、歓声に次ぐ大歓声だった。幼女神ヘスティアが引っくり返るほどの熱狂に迷宮都市は包まれ、祝賀行進パレードさながら突発的な大祭まつりが開かれるほどだった。

民衆は讃たたえた。

冒険者達は昂たかぶった。

神々は万来の拍手をもって出迎えた。

戦いが終わった後も激闘の余韻はちっとも薄れず、朝と夜の境界を忘れ、都市は賑にぎわいに賑わった。

そして、連日騒ぎ疲れた都市がようやく瞼まぶたを下ろした、戦争遊戯ウォーゲームから三日目の朝。

「どうして負けちゃったのかしら?」

空になったグラスを細い指でつつきながら、フレイヤは呟つぶやいた。

まだ陽ひも出ていない早朝。がらんと空いた酒場の長台カウンターで、子供のように小首を傾げている女神に、無理やり相手をさせられているミアは溜息をついた。

「そんなの、アンタが誰にも彼にも恨みを買ってたからに決まってるだろ」

「それでも、勝てると思ってたわ。ロキ達が出てきても、やり方次第でどうにでもなるって。ベルだけは手に入れられる筈はずだったのに」

戦争遊戯ウォーゲームの結末に納得していない、というより心底不思議そうにしているフレイヤに、ミアはやはり呆れ交じりの視線を送った。

「坊主を守りたかった連中が多かったってことじゃないか」

「それだけ?」

「……あとは、アンタを想ってる物好きが、変に気を回したからじゃないかい?」

フレイヤは唇を閉じた後、なるほど、とグラスをつつくのを止めた。

正直、ヘディンやヘルン達の件があっても勝てたと今も思っているが、フレイヤは『愛』をもって派閥大戦に臨んだ。ならば『愛』故に敗れてしまうということもあるのだろう。

様々な『愛』と、意志と、想いが絡からみ合あって、少年達は万に一つもなかった勝機に辿り着いたのだと、フレイヤはそう納得することにした。

「ミア、この一杯は貴方のおごりでいい?」

「ふざけんじゃないよ、馬鹿ばか女神。こんな朝早く叩き起こされたんだ、その分も含めてしっかり払いな」

「だって私、もう何も持っていないもの」

戦争遊戯ウォーゲーム──『派閥大戦』に敗北した【フレイヤ・ファミリア】は解体された。

派閥連合の盟主扱いだったヘスティアが命じたわけではないが、『箱庭』の件も含め、フレイヤ達はあまりにも傲岸ごうがん不遜ふそんに振る舞い過ぎた。開き直って戦争遊戯ウォーゲームを要求したことといい、これ以上フレイヤの身勝手を許すなと、大戦に参加した女神達を中心に声が上がったのだ。フレイヤの横暴の原因である眷族も切り離し、手足をもぐべきだと。

親衛隊もとい男神達の『共鳴者シンパ』や、フレイヤを崇拝する子供達『信者』がすぐさま異を唱えたが、「うるせぇ黙れ」と無理矢理鎮圧された。何もしなかった者達より、戦争の勝者達の発言力が高まるのは当然の成り行きであり、多くの民衆も美神の権能を畏おそれ、止めなかったのである。

フレイヤ達の敗北が決まって顔色を気の毒なほど千差万別に変えていたロイマンも、最初は庇かばっていたものの、勝者達の要求と世論を覆すには至らなかった。ギルド内でも背後から刺されかねない彼は、致し方なく従来のオラリオの規定通り、都市戦力──強靭な勇士エインヘリヤル達の都市外流出だけは防ぎ、主神フレイヤの追放をギルド本部の総意として発表した。

「神フレイヤ以外の主あるじなどオッタル達が従うわけなかろぉぉぉぉ……!! 神アポロンの二の舞になるだろおぅがぁぁぁぁぁ……!!」

とは、すっかりやつれた『ギルドの豚』の談だ。

それに伴って、【フレイヤ・ファミリア】の莫大な資産も全すべて没収された。『戦いの野フォールクヴァング』のみはギルドの預かりとなったが、それ以外は全て勝者達、派閥連合に参加した【ファミリア】の山分けとなっている。開戦前は通夜状態だった【オグマ・ファミリア】辺りは今は跳んで跳ねて大喜びしているらしい。敗者フレイヤからすると、かなり癪しゃくだが。

敗ければ即送還されるものだと思っていたし、フレイヤからすれば甘い措置とも思うが、

『屈辱恥辱汚辱、あらゆる辱はずかしめを味わえ』

という女神連盟の粋いきな計らいだろう。

この身が既に裸の女王と成り下がっていることは下界中に知れ渡っている。

【ファミリア】が解体された今、醜聞と嘲笑ちょうしょうは数百年は付いて回るかもしれない。

ギルドの発表では、暴挙を差し引いた上で余りある今日までのオラリオへの貢献を鑑みて送還はしない、らしいが、どこかの『お人好ひとよし』達が余計なことをしたのだろうと、フレイヤはそう踏んでいる。

「全てを賭かけるって言ったのは私だし……無一文になるのはしょうがないでしょ?」

フレイヤに残されたのは、今も纏まとっている衣服のみ。

連れもいない。眷族達には全員「付いてきては駄目。この地で英雄になりなさい」と言い渡してある。ヘイズを始め、今まで決してフレイヤに逆らうことのなかった子供達は必死に食い下がったが、言うことを守らなければ『魅了』してオラリオに縫い留める、と告げると、多くの者が号泣し、崩れ落ちた。目を覚ましたヘルンだけは、悲しむ資格など持ち合わせていないように、ぐっとうつむいて何かに堪たえていた。

だから、ロイマンは別に胃を痛めなくても大丈夫だ。

今回の戦争遊戯ウォーゲームで死者は出していない。

眷族達には相手を殺さないよう徹底させていた。

醜いエゴで開戦させておいて、他所の子供を殺あやめてしまったら夢見が悪いし、何より、死者がいたらベルは絶対自分のモノにならない気がしたから。

逆に派閥連合は殺すつもりで来るだろうが、まぁ死なないだろうと思う程度にはオッタル達や、あとはヘイズ達満たす煤者達アンドフリームニルを信頼していた。

「……だったら、今まで通り働いて稼ぎな」

「駄目よ。横暴で面倒な女神おんなは、今日までにさっさと出ていけって言われてるもの」

席から立ち上がるフレイヤを、ミアは睨にらむように見つめた。

その眼差まなざしは、感情を出さないよう努めているようにも見えた。

「……どっかのチビ女神は、色ボケた女神はダメだが、『街娘』の一人くらいは見逃すって、そう口を滑らせたらしいよ」

ぴたりと、出入口の前で立ち止まる。

「……駄目よ。そんなの、惨めだもの」

けれど、やはり、微笑を作るフレイヤの意志は変わらなかった。

「だから……さようなら、ミア。今まで楽しかったわ」

ローブ姿で、フードを被り出ていくフレイヤの背を、重い溜息が叩いた。

それに気付かない振りをして、東のメインストリートに出る。

夜とも異なる薄青い闇やみが、彼女を出迎えた。

「もう、どれくらいここにいたのかしら……」

見慣れた景色。

今日まで長くて、やはりあっという間だった気がする。

肌寒い早朝の空気。

一日の始まりを待ち遠しく思い始めたのは、何時いつからだっただろう?

けれど長かった秋、豊穣の季節も終わる。ならば冬が来る前に、女神も豊穣と去るべきだ。

誰もいない街並みを眺めながら、フレイヤは都市門の方へ足を向けた。

向けようと、したのだが。

「シルさん」

一人で待っていたように、たたずんでいた少年に、足を止めた。

初めて出会った大通りで、初めて昼食バスケットを手渡した場所で。

「……何の用?」

少し硬く、ちょっと冷たい声が出た。

だって彼は今、一番会いたくない者の一人だったから。

「行っちゃうんですか?」

「当然でしょう。そういう決まりだもの」

「でも、僕達は……」

「なに、また私を振り回す気? 貴方は好き勝手に暴あばれて、自己満足で二度も振ってくれたでしょう?」

「うっ……!?」

最後の腹いせとばかりに、嫌味を言ってやる。

とはいっても、本心ではない。

好き勝手に暴れたのは、それこそ自己満足で下界を巻き込んだ自分の方だ。

世界を捻ねじ曲げてまで望みを叶えようとしたフレイヤに比べれば、ベルの『偽善エゴ』なんてまだ可愛いものである。

「……大丈夫よ」

「えっ?」

「貴方が『恋』を終わらせてくれたおかげで、ちゃんと私は救われた」

「!」

見張られる深紅ルベライトの瞳と視線を交わしながら、フレイヤは微笑を浮かべた。

そこには残酷で奔放な女神も、愛の毒と奇跡を識しる『魔女』もいなかった。

恋の痛みと苦みを知った、少女のような白い心だけがあった。

「もう愛には狂わないし、恋も求めない。初恋あなたが、私なんかよりずっとぼろぼろになって、未練なんてものを断ち切ってくれたから」

それは紛まごうことなき本心だ。

ベルに与えられた傷心と引き換えに、フレイヤはもう世界を捻じ曲げる怪物にはならず、誰かを傷付け、自らも傷付くことはないだろう。他ならない彼が一緒に傷付いて、傷を分かち合ってくれたおかげで。

悪夢が終わった、とは違う。

目が覚める思い、とも異なる。

とても寂さびしくて、どこか清々すがすがしい。

今も涙が出そうな喪失感そうしつかんこそが、フレイヤが少年を求めていた何よりの証拠で、彼女を呪う『愛』を上回ってくれた証あかしだ。

「貴方には……負けたわ」

悔しいけれど。

とても恥ずかしくて、認めたくないけれど。

フレイヤは救われてしまった。

口を閉ざす少年に、女神は何の含みもなく、微笑んだ。

「好きよ、ベル。貴方が好き」

「……」

「疲れて、飽きてしまうまで、貴方のことを想ってる」

何万、何億年も伴侶オーズを探し続けた女神に、そんな日は永劫えいごう来ないだろうけれど。

それでも叶わないこの想いを抱え続けることこそが、フレイヤへの一番の罰。

「……それじゃあ」

未練など生まれないうちに、足早にその場から立ち去った。

隣を通り過ぎても、彼は何も言わない。

少し不思議に思った。ちょっとくらい呼び止めてくれてもいいのに、なんて小娘みたいな不満も確かにあるけれど、不思議に思う方が強かった。

あの少年のことだから、必ず駄々をこねると思っていたのに。

「シル」

そんな疑問への答えは、別の方角から、すぐにやって来た。

「!」

リュー。

そしてアーニャ、クロエ、ルノア。

他の『豊穣の女主人』の店員達も。

若葉色の制服に身を包む彼女達が、いつの間にか現れ、大通りに一枚の壁を作っていた。

フレイヤは動きを止めた。そして黙った。

やがてフードを目深まぶかに被り直し、彼女達のもとへ近付き、その間を通り過ぎようとした。

「待て」

当然、そんなことを潔癖な彼女が許す筈もなかった。

今まで決して娘シルには向けてこなかった険しい語気で、女神の足を止める。

「私達に何か言うことはないのか」

「……」

立ち止まったフレイヤは──いや『彼女』は、目を瞑つむった。

リューは娘むすめの名を呼んだ。ならば答えるのは、女神ではない。

それが、結末エンディングを迎えた神プレイヤーの最後の流儀。

騒ぐ心なんてものを無視し、瞼まぶたを開け、薄鈍色の瞳で石畳を見つめる。

女神が消え、そこに立っているのは『娘むすめ』となる。

「…………ごめんなさい」

直後。

──ぱんっ! と。

頰ほおから、派手な音が鳴った。

フードが落ちた彼女は──シルは、目を見開きながら、じんじんと熱を持つ頰に触れた。

「ふざけるな!!」

クロエとルノアが顔を引きつらせるほどの速度で、シルの頰を張ったリューは、怒鳴った。

「謝るくらいだったら、償え!!」

「えっ……?」

「死ぬつもりだった私を生かしたのは、貴方だ! 私が今ここにいる責任を取れ!!」

その言葉に、シルはたじろいだ。

心が動揺して、これ以上もうみっともない思いをしたくないという我儘と、お願いだから未練なんて抱かせないでほしいという願望が、その薄鈍色の瞳で混ざり合う。

シルの考えていることを、怒り心頭のリューはすぐに見抜いたのだろう。

柳眉を逆立てて、胸むなぐらでも摑つかみそうな勢いで詰め寄る。

「これ以上辱はずかしめられたくない? 馬鹿を言うな! 一生辱はずかしめてやる! 一生、報いを受けさせてやる!!」

「っ……」

「私達の側に、ずっといなさい!!」

リューの涙交じりの一喝に、今度こそ薄鈍色の瞳が、大きく見開かれる。

「女神の矜持プライドなんて知ったこっちゃないニャ~」

「そうそう。だって私達の前にいるのは神様じゃなくて、仕事の同僚だし?」

クロエがニヤニヤと、ルノアがケラケラと笑う。

「「それにあんなクソマズイ飯メシ作っておいて、誤魔化ごまかせると思ってるのかぁニャー~?」」

更にそんな屈辱おいうちまで言い放って、シルの顔面を羞恥しゅうちに染める。

ぱくぱくと何度も口を開いた。みっともないくらい何も言えなかった。

他の店員達はくすくすと肩を揺らしていた。

やがて、それから、間を置かず。

捨て猫が一匹、前に歩み出た。

「…………フレイヤさま……………………シル…………」

「アーニャ……」

自分でも愕然がくぜんとするくらい、かける言葉が見つからない。

あの『箱庭』で騙だまし、突き放し、傷付けておいて、何を言えというのか。

立ちつくすシルを前に、アーニャは怯おびえるように何度も視線と尻尾しっぽを揺らした。

口を閉じると開くを繰り返して、地面をじっと見つめたかと思うと──。

「……行っちゃ嫌ニャア~~~~~~!!」

泣きながら、抱き着いてきた。

猫に飛びつかれたシルは、固まってしまった。

「ミャー、なにもわかんないけどっ……! シルとっ、お別れしたくないニャア~……!!」

馬鹿なアーニャには説得なんてできない。

気の利きいた言葉も送れない。

そもそもフレイヤとシルの関係も理解できているかも怪しい。

だから、胸の内の想いを正直に打ち明けて、ぶつかってきた。

呆然ぼうぜんとしていたシルの瞳が、ゆっくりと、滴の気配を纏まとい始める。

「シルさん」

それまで見守っていたベルが、後ろに立っていた。

クロエがアーニャをゆっくり引き取る中、咄嗟とっさに振り返ったシルは、動揺を悟られたくなくて、顔を伏せる。

何もできずにいると──どんっ! と。

ルノアの痛いくらいの平手が、強く背中を押し出した。

前につんのめり、危うく転びかける形で、ベルの前へと押し戻される。

「…………………」

「え~っと…………あぁぁーーー…………」

口ごもるシルに、ベルの方が何故なぜか挙動不審となる。

不思議に思っていると、少年は意を決したように、ばっと両腕を広げた。

えっ、なに?

まるで今にも抱き締めてきそうな少年の行動に、シルが目を丸くしていると、頰を赤らめるベルは「うぅ~~~!」と頭を両手で抱えて、その場に蹲うずくまった。

ややあって、何かを断念したかのように立ち上がる。

次に、頰を赤く染めたまま、そっと、シルの右手を取る。

不意打ちに、シルの鼓動が跳ねてしまう。

そして、

「……いっ、いけない子猫ちゃんだ! もう悪さをしないように、ずっと見張っててやる! 覚悟しなっ、フフ!!」

風が吹いた。

無言の時間が生まれた。

背後にいるルノア達は寒い目を向けた。

特にリューの目は、睨むだけでベルを殺せそうなほど氷点下の冷気を帯びていた。

「ぁ…………」

青ざめて汗をダラダラと流し出す少年を他所に、シルは気が付いてしまった。

『もし、私がおかしくなったら、ベルさんはどうしますか?』

それは女神祭での逢瀬の時。

人知れず、『愛』に狂う未来を恐れていたシルが、冗談交じりに彼に伝えた言葉。

『私をぎゅうっと抱き締めて『いけない子猫ちゃんだ。もう悪さをしないようにずっと見張っててやる。覚悟しなフフ』って耳もとで囁ささやいて家に持ち帰ってはくれないんですか?』

『しませんよッッ!?』

シルと彼は、そんな風に笑い合ったのだ。

抱き締められない代わりに、少年は少女の手を、握っていた。

「……シルさん、あの時も言いました。シルさんが誰かを傷付けないように、止めるって」

呆然となるシルに、ベルは苦笑するように、はにかんだ。

「誰かを傷付けて、貴方自身が傷付かないように。だから……」

そう言って。

懐ふところから取り出したあるモノを、まだ繫つないでいるシルの右手に、置いた。

「─────」

それは蒼あおの装飾がちりばめられた銀細工。

片方は女神が砕いてしまった、番つがいの装身具アクセサリ。

英雄譚フルランドを着想モチーフにした、『騎士』の髪飾り。

「僕、シルさんのこと、見張ってます」

「え……?」

「貴方が悪いことをしないように。リューさん達とずっと笑っていられるように……見守ってます」

シルの手が揺れる。

「僕は、『伴侶オーズ』にはなれない」

意識が離れて、髪飾りを握ってしまう。

「僕は、『フルランド』でもない」

唇を震わす少女に、少年は恥ずかしそうに、笑った。

「でも、貴方と一緒に傷付きながら、守ってあげられる……『騎士』にはなれると思うから」

シルの瞳から、涙がこぼれ落ちた。

「シルさん。約束、守ってください」

涙が止まらないシルに、ベルは最後に、優しく、そんな意地悪を言った。

「『本当の貴方』を教えてください……僕達が勝ったら、お願いを聞いてくれるって、言ったじゃないですか」

喉のどが震える。

嗚咽おえつが漏もれそうになる。

そんなことは許さない。私は女神フレイヤよ?

そんな風に心の中で強がっていても、薄鈍色の瞳から止まらない涙が、全てだった。

辿り着いた『花畑』で見た幻想ユメを思い出す。

『本当の私』は誰で、『本当の望み』が何なのかなんてもう、気付いてる。

女神フレイヤを始めたのも、娘シルを始めたのも、『彼女』。

あの『花畑』にずっといたのは──涙を流し続けていた、たった一人の少女。

「…………私は、女神をやめたい」

だから『本当の私』を伝えた。

女神の『軛くびき』から解き放たれる居場所に向かって、ありのままの自分を叫んだ。

「みんなの側で、私シルでいたい!!」

ベルは相好を崩した。

リューは涙を流し、微笑んだ。

アーニャがわんわんと泣いて抱きつき、笑うクロエとルノアが左右の肩に手を置く。

店員達の歓声が上がる。酒場の柱に寄りかかり、見守っていたドワーフが唇を上げる。

早朝に響く喜びの声に、都市がゆっくりと目覚め始めた。

東の市壁が輝いた。朝日の欠片かけらが姿を現す。

娘の涙を焼いて、咎とがめて、ほんの少しの祝福を与える。

「ごめんね、アーニャ……!」

これは罰だ。

「ごめんね、クロエっ……ごめんね、ルノア……!」

自分勝手で我儘な、『聖女』なんかじゃない『魔女』に下される罰。

「ごめんね、リュー……!」

彼女達と向かい合う度に羞恥に焼かれ、身悶みもだえして、一生を償い続ける。

「ごめんなさい、ミアお母さん……!」

悪さだって、もうできない。

「みんなっ………………ありがとうっ」

彼女の側には『騎士』がいて、ずっと見守り続けているから。

「……これで満足か、羽虫」

とある酒場の屋上。

眼下の光景を見守っていた眷族達の中で、不機嫌な顔付きのアレンが問いかける。

「知らん」

「あぁ?」

「これが最上かは、わからない」

ヘディンは短く、素直な感想を告げる。

アレンだけでなく、オッタルを除いた四兄弟アルフリッグたちやヘグニからもじろりと睨まれた後、静かに、笑みを浮かべた。

「だが……悪くない」

あの愚かな少年は、やはり彼女の伴侶オーズにはならなかった。

そして英雄オーズにもならなかった。

少年は、彼女の『騎士オーズ』を選んだ。

精霊は娘むすめ。

聖女は魔女まじょ。

娘シルと魔女フレイヤが織りなす、二人一心ダブルキャスト。それが『本当の彼女』。

彼女はもう『愛』に狂わず、『恋』に殺されない。

『愛』を拒んだ彼の前だけでは、『恋』に救われた彼女はもう、女神ではなく『一人の少女』にしかなれないから。

彼が側で見守り続ける限り、彼女は解き放たれる。

彼女の『本当の望み』は、もうここに在ある。

「及第点だ。……馬鹿弟子」

日が昇る。

抱き締め合う少女達を照らし出す。

そこに花畑はない。

彼女達が纏う新緑の若葉だけが咲いている。

「本当に……憎たらしい男」

その光景に、呟きを一つ。

勇士達の側で眺める神々の娘ヘルンは、憎まれ口を一つ。

涙を流し、透明な微笑みを、一つだけ。

「私達シルを救ってくれて、ありがとう…………ベル」

きっと最初で最後の感謝を、その朝焼けの空に捧げる。

少女達を離れた場所で見守る少年は一人、顔を綻ほころばせた。

秋が終わる。

豊穣とともに女神が去る。

砕けた軛から生まれた少女は、涙の産声と一緒に、花のように笑うのだった。

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